分子や原子もしくは電子が従う物理方程式を解くことで、様々な化学的現象を理解・予測する研究分野を「計算化学」と呼びます。
多くの場合、これらの物理方程式は非常に複雑なので、コンピューターを利用して研究を進めることになります。
我々の「生命 計算化学 研究室」では、生命科学に関する諸問題を計算化学に基づいて研究・解決することで、社会への貢献を果たしていきたいと考えています。
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我々の研究室では、独自の量子化学計算プログラム「PAICS」の開発を進めています
(http://www.paics.net/)。
PAICSという名前は「Parallelized Ab Initio Calculation System Based on FMO」の頭文字から作られています。
このプログラムでは、生体分子のような巨大な分子の量子化学計算を可能にするために、「フラグメント分子軌道(FMO)法」を採用しています。
FMO法では、計算対象の分子を小さなフラグメントに分割し、フラグメントの単体(モノマー)およびペア(ダイマー)の計算のみから全体の物理量を算出します[1]。
これにより、通常の量子化学計算法に比べて計算量を大きく減らすことができます。また、これらモノマーおよびダイマーの計算は完全に独立しているため、高い並列効率が実現されます。
実際に我々のPAICSでも、Message Passing Interface(MPI)によるメモリ分散型の並列化が施されており、数百〜数千CPUを用いた並列計算が可能になります。
図1に並列効率に関するベンチマークの結果を示します。使用するCPUの数が8倍(16→128)になると計算速度が7.18倍となっており、高い並列効率が達成されていることがわかります。
また、入力ファイルの作成や計算結果を解析するためのユーザーインターフェースである「PaicsView」も開発されています(図2)。
PAICSには現在、制限Hartree-Fock(RHF)法、二次のMoller-Plesset摂動(MP2)法、MP2法にResolution of the identity(RI)近似を適用したRI-MP2法[2,3]、局在化軌道を利用したLMP2法[4]、さらに三次のMoller-Plesset摂動(MP3)法およびMP2にRI近似を適用したRI-MP3法[5]が実装されています。 これらの計算理論を用いて、エネルギー・エネルギー勾配に加えて、電子密度・静電ポテンシャル・電場といった静電的物理量[6]を、二体近似のFMO法に基づいて計算可能となっています(表1)。 図3に示したのは、RI近似を用いた場合と用いない場合のMP2エネルギー勾配の計算時間の比較です。 RI近似を導入することで計算時間を大幅に短縮できることができます。 計算時間を短縮する理論やアルゴリズムの開発は、計算化学における重要な研究テーマの一つです。 また、PAICSに実装されているこれらの計算理論を利用して、独自の解析方法の開発も進めています。 例えば、FMO法とLMP2法を組み合わせた分子間相互作用解析法であるFragment Interaction Analysis Based on Local MP2(FILM)[4][7]は、生体分子内のCH-π相互作用やπ-π相互作用といった分散力に起因する相互作用を詳細に解析することができる方法です。 また、FMO法に基づいて計算される部分電子密度と部分静電ポテンシャルを利用したVisualization of the interfacial electrostatic complementarity(VIINEC)[8,9,10,11]も、我々の研究室で独自に開発しているタンパク質間の相互作用を解析するための方法です。 |
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関連文献:
[1] T. Ishikawa, Chem. Phys. Lett., 761 (2020) 138103. [2] H. Ozono and T. Ishikawa, J. Chem. Theory Comput. 17 (2021) 5600 [3] T. Ishikawa, et al, J. Phys. Chem. Lett., 12 (2021) 11267 [4] H. Ozono, K. Mimoto, T. Ishikawa, J. Phys. Chem. B, 126 (2022) 8415 [5] S. Kousaka, T. Ishikawa, J. Chem. Theory Comput. in press 関連グラント: ● 2022年度 JST大学発新産業創出プログラム(START)大学・エコシステム推進型「PARKS起業活動支援プログラム」バイオ医薬品開発の効率化を実現する生体分子量子化学計算プログラム「PAICS」、代表、2022年度〜2022年度 ● 令和5年度 AMED 橋渡し研究プログラム 異分野融合型研究シーズ(シーズH)抗体医薬品開発を加速する量子化学計算に基づいた次世代インシリコ創薬技術の開発、代表、2023年度〜2023年度 ● 令和5年度 一般財団法人ふくおかフィナンシャルグループ企業育成財団研究開発助成金 抗体医薬品の開発コストを軽減するインシリコ技術の社会実装、代表、2023年度〜2024年度 ● 令和6年度 AMED 橋渡し研究プログラム 異分野融合型研究シーズ(シーズH)VHHを用いた抗体医薬品開発を効率化する次世代インシリコ創薬技術の確立と実用化、代表、2024年度〜2024年度 関連特許: ● 分子間相互作用解析装置、分子間相互作用解析法及びプログラム, 石川岳志, 大園紘貴, 特願2022-139395 ● 分子間相互作用解析装置、分子間相互作用解析法及びプログラム, 石川岳志, 特願2023-25282(2023年2月21日) ● 分子間相互作用解析装置、分子間相互作用解析方法, 石川岳志, PCT/JP2023/030775(2023年8月25日) ● 分子間相互作用解析装置、分子間相互作用解析方法及びプログラム, 石川岳志, PCT/JP2024/005667(2024年2月19日) |
参考文献:
[1] K. Kuwata, et al, Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 104 (2007) 11921 [2] K. Yamaguchi, et al, Nat. Biomed. Eng., 3 (2019) 206 [3] T. Ishikawa, et al, J. Comput. Chem., 30 (2009) 2594 [4] D. Ishibashi, et al, EBioMedicine, 9 (2016) 238 関連グラント: ● 2020年度 科学研究費助成事業 基盤研究(B)(一般)抗プリオン効果を生み出すファーマコフォアモデルの構築と新規治療薬の開発(代表:石川岳志)2020年度〜2022年度 ● 2023年度 科学研究費助成事業 基盤研究(B)(一般)化学シャペロンに有効なファーマコフォアモデルの構築法の開発と抗プリオン薬への応用(代表:石川岳志)2023年度〜2025年度 関連特許: ● プリオン病治療薬, 石橋大輔, 西田教行, 水田賢志, 石川岳志, 特願2018-177224(2018年9月21日) ● プリオン病予防・治療剤, 石橋大輔, 西田教行, 中垣岳大, 濱田剛, 石川岳志, 特願2016-170349(2016年8月31日), 特開2018-35099(2018年3月8日) |
上で述べたように、感染症の創薬は非常に重要な研究テーマですが、せっかく新しい化合物を開発しても、多くの場合は耐性を獲得した病原微生物が出現してしまいます。 特にインフルエンザなどのRNAウイルスは、変異のスピードが速く、既存薬はすぐに使えなくなってしまう恐れがあります。 そこで我々は、コンピュータを使って特定の薬に対する耐性変異を予測する研究も進めています。 |
関連文献:
[1] K. Watanabe, et al, Sci. Rep., 7 (2017) 9500 [2] J. N. Makau, et al, PLoS ONE, 12 (2017) e0173582 [3] J. N. Makau, et al, Viruses, 12 (2020) 337 [4] T. Ishikawa, et al, J. Phys. Chem. B, 122 (2018) 7970 [5] F. Mi-ichi, et al, PLOS Neglected Tropical Diseases, 13 (2019) e0007633 関連グラント: ● 平成29年度 日本医療研究開発機構 感染症研究革新イニシアティブ(J-PRIDE) 赤痢アメーバ“含硫脂質代謝”を標的とする阻害剤探索―全容解明と治療薬開発にむけて―(代表:見市文香)2017年度〜2019年度 ● 平成29年度 日本医療研究開発機構 感染症研究革新イニシアティブ(J-PRIDE) 薬剤耐性RNAウイルス出現予測法の確立と迅速制御のためのインシリコ創薬(代表:西田教行)2017年度〜2019年度 関連特許: ● 抗ウイルス薬, 水田賢志, 大滝大樹, 田中義正, 畑山範, 石川岳志, 池田正徳, 武田, 特願2019-069458(2019年3月29日) ● PCT/JP2018/013592(2018年3月30日)キノリノン化合物および抗RNAウイルス薬 ● 特願2017-72230 (2017年3月31日)キノリノン化合物および抗RNAウイルス治療薬 |
環状オリゴ糖は複数のグルコースが環状に結合したオリゴ糖です。 D-グルコースがα-1,4グリコシド結合で環状構造を形成したシクロデキストリン(CD)は、今から100年程前に発見され、産業応用が進んでいます。 一方、D-グルコースがα-1,6グリコシド結合で環状構造を形成したシクロデキストラン(CI)は約30年前に発見されましたが、産業応用は進んでいません。 したがって今後CIは、CDと異なる産業利用が期待されています。 我々の研究室では、日新製糖株式会社様と計算化学を用いたCIに関する共同研究を進めています。 | |
CIの代表的な機能の一つが分子包接機能です。
CI内部に様々な分子を包接することで、ゲスト分子に安定性・可溶性の向上など新たな機能を付与できると期待されています。
しかし、工業規模でのCI生産がされていないこともあり、CDに比べて研究報告例が極端に少なく、CIの包接メカニズムの詳細はほとんど解明されていません。
そこでCIの分子包接機構を解明するために、密度汎関数法、計算分子動力学法、フラグメント分子軌道法を用いた計算を行いました[1]。
以下はゲスト分子としてコエンザイムQ10を選択した場合の、CI(左)とCD(右)の抱接状態の分子動力学計算の結果です。
これらの結果を詳細に解析することで、CIとCDの分子抱接のメカニズムの違いを理解することができます(詳細は論文を参照して下さい)。
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CIのもう一つの機能は、虫歯菌の糖転移酵素(GTF)の活性阻害機能です。 GTFはスクロースをフルクトースとグルコースに分解し、分解されたグルコースを重合することで、虫歯の原因となる多糖グルカンの合成を促進します。 CIはこのグルカンの合成を阻害することが知られていますが、CDにはこのような阻害機能は確認されておらず、CIに特有の機能です。 このCIによるGTFの阻害メカニズムを解明するために、分子動力学法、フラグメント分子軌道法、密度汎関数法を用いた計算を行いました[2]。 |
参考文献:
[1] W. Imamura, et al., Carbohydrate Polymers, 301A (2023) 120315 [2] W. Imamura, et al., Carbohydrate Polymer TA, 7 (2024) 100473 共同研究: ● 共同研究(日新製糖株式会社)2020年06月1日〜2021年11月30日 ● 共同研究(日新製糖株式会社)2022年08月1日〜2024年09月31日 ● 共同研究(日新製糖株式会社)2024年02月1日〜2025年01月31日 |
結合の生成・消滅を含む化学反応シミュレーションでは、経験的なポテンシャル関数を用いる古典計算ではなく、電子の運動方程式を直接解く量子化学計算が必要になります。 しかし、溶媒中などの凝集系でこのような計算を実行するためには、膨大な計算時間を要するため、一般的には実行が困難です。 そこで我々は、フラグメント分子軌道法を利用して計算時間を大幅に減少するシミュレーション法を開発しました[1]。 また、最初の応用研究として、水溶液中のメチルジアゾニウムイオンの加水分解反応のシミュレーションを実行しました。 この際、150個以上の水分子と反応分子を全て量子化学的に取り扱い、コンピューターの中で化学反応を再現することに成功しました(右の動画を参照)。 |
参考文献:
[1] M. Sato, et al, J. Am. Chem. Soc. Comm. 130 (2008) 2396 |
© 2018 鹿児島大学 大学院理工学研究科 化学生命・化学工学専攻 生命計算化学研究室